わかったこと

無事に卒論を提出してから、もうすぐで二ヶ月が過ぎようとしている。数日後には、口述試験があって、それが終われば、あとは卒業式を待つばかりとなった。
 私は、といえば、この間ずっと働いていた。出版社で、短期のアルバイトをしていたのだけれど、そこでの仕事は大変で忙しいながらも、働きやすくて肌には合う。ただ、短期間の仕事だから、次の仕事を探さなくてはいけなくて、気分は沈みっぱなしだ。普通であれば、今頃大学四年生は最後の自由を満喫しているのだろうけれど、私には、そんな自由は関係ない。自分で選んだ道だけれど、不安はつきない。とにかく、今はしっかりと働いて、お金を貯めて来年には大学院に進学できるようにしなきゃね。

 ここ数日、卒論について考えを巡らせていてわかったことがある。私が日本語教師の資格をとろうとしなかったのは、やっぱり「日本語」とのねじれた関係のせいなんだろうな、ということ。私の悩みの元凶となった言語を、他の外国人に教えるということに、違和感を覚えずにはいられなかったのだと思う。今でもそうだ。他言語を人に教えることの意味を考えずにはいられない。とくに、教える対象が小さい子供であればあるほど。とは言いつつ、よくよく考えてみれば、日本語教員を必要とする人というのは、もうある程度成長した人であるはずだから、私が感じたような葛藤は覚えずに済むのかもしれない。でも、いずれにせよ私はそれが「嫌だった」のだ。それだけのことが、今までわからずにいた。
 もうひとつわかったことは、自分の人生がなんなのか、ということ。今までは、どこか両親との関係を自分の人生や存在の中心に据えていたのだけれど、本当は自分自身を中心に据えなくてはいけなかったのだ、と今更ながらわかった。こんな単純で、当たり前のことなのに、今までなぜできていなかったのかが不思議でしかたがない。日本で生きて行くためには、両親の存在が必要不可欠であり、彼らに否定されないで生きることが、日本での生活を保証していたからなのかもしれない。ある意味では、北米と日本の力関係に似た構図が、私と両親との間にあったのだと思う。
 だけど、今はこの先の責任は自分自身で背負うことになるし、それが当然だとも思っている。だから、両親の庇護のもとから、自分の足で出て行かなくてはいけない。それが不安でもあるし、自分にできるのか、と疑問にも思う。でも、いつまでも頼ってはいられない。そうしないことには、自分で自分自身の人生を生きる、なんていうことができなくなってしまう。ただでさえ、私は器だけのからっぽ人間なのだから、それをこれからは自分自身で埋めて行かなくてはいけない。

 
 相変わらず、「でも」や「ただ」、「やっぱり」が多い文章になってる。なにも考えずに書くと、それらの言葉を多用してしまう。いつもどこかで逃げ道を作っているようで情けない。

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