あぶれる

結婚が素晴しいと人は言う。好きな人とずっと一緒にいられるから、世界が家族だと認めてくれるから、と。


 わたしにも、その素晴らしさはわかる。だけど、幸せな結婚をおめでとうと祝福しつつ、そこからあぶれる人々のことを考えずにはいられない。 いくら好き同士でも、法律上結婚が認めらない人々が、今この日本で、そして世界にどれだけいるだろう。ずっと一緒に暮らしていこうね、と約束しても、家族として世界に認めてもらえない人々はどれだけいるだろう。


 普通に生活していたら、「ふつう」の人は気がつかない。でも、人が気づかなくても、きちんと存在して、息をして、生活をしている人々。みんなのいう「当たり前」だとか「幸せ」を横目にみつつ、自分たちにはなぜ、その「当たり前」の「幸せ」が認められないのだろうと感じる人々。なかには声を上げる人もいれば、静かに生活していく人もいる。みんな、なにかしらのみこんでいる。声にならない本心があって、みんなどこかでそれを抑えている。


 もちろん、結婚する、しないは自由だ。それを選択するのはひとりひとりの問題。でも、この選択肢は、すべての人に平等に与えられているわけではなくて、「ふつう」の人々しかもちえない選択肢だ。あぶれた人々には、愛する人との結婚は、選びたくても選べぬ道。そういうことを、考えたことがある人は、どれだけいるだろう。


 日本の外では、結婚やパートナーシップのあり方が、どんどん見直されてきている。同性同士の結婚が合法化されたりして、長年の夢をかなえる人々がでてきている。ようやく、「ふつう」の人と同じように「選択肢」がもてるようになった人が、「ふつう」のこととして結婚を選んだり、選ばなかったりできるようになった。それこそ喜ばしいことだとわたしは思う。結婚が、男女のみが享受できるものではなく、すべての人に平等に与えられる幸せとなればいいと思っている。


 それでも、それに反対するひとも数多くいるわけで。その人々の多くは、なにをもって反対するのかわたしには理解できない。法が変わっても、反対する人は、それによってなにか被害を受けるわけではないのだし、損をする人はいないのだもの。法が変わることで、「当たり前」の権利として認められる人が増えるだけのことなのに。
 でも、それが議論されるだけ、まだましではある。議論もされず、気付かれもせず、路傍の石のように大多数の無意識によって蹴り飛ばされ、摩耗させられ、そのまま忘れ去られてしまうのが一番悲しい。そういう人々にも、こころがあって、生活があって、人生があるのに。そもそも、その人々だって「ふつう」の人々と、何一つ変わらないのに。

 わたしが結婚について考えるとき、どうしてもそういうことを考えてしまう。幸せな結婚を選んだ人を恨むのでもなく、批判するでもなく、喧嘩を売っているわけでもない。ただ、幸せな結婚を、より多くの人が選べるようになればいい、と、こころからそう思っているだけのことなんです。だって、どんな人の幸せだって、両手をあげて祝福したいじゃないですか。笑顔で、おめでとうって、こころから言いたいじゃないですか。


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