孤独のリスク

 先日、わたしの身の回りにいる人々の間に起こった色々なすれ違いについて、集まって話し合いをした。何度か話し合ってきたことだけれど、今度こそはっきりさせよう、という意味合いの強い集まりだったと思う。
 話し合いはかなり長引いて、わたしを含めた全員がへとへとに疲れきってしまった。だけど、結果はまぁ、よかったんじゃないかなとは思う。その話し合いの後から、多分、全員の中にあったわだかまりや、誤解などが晴れたような気がするし、なにより再度皆でがんばろう、っていう気持ちになれた。少しずつ、また立て直していけばいいのだと思う。
 
 でも、その一方で、気になること、というか、考えていることもある。こちらの関係はどんどん良くなってはいるけれど、わたしが本当に解決したい問題は、なにも改善してないってこと。わたしの家族との関係を、わたしはこの二年半の間、何も解決できてないし、改善できていない。そのことが、手放しで今の状況を喜べない原因なんだと思う。
 思っていることは話す、疑問も、意見も、きちんと話し合わなくてはいけない、というのは、この二年半の間に新しく身に付けて、日々実践していることだ。だけど、自分の家族にたいしては、これがうまくできない。今一緒に生きている人々との間ではできることが、何で自分の実の両親との間ではできないのだろう。自分のなかの大きな矛盾に、わたしは苦しめられている。いや、苦しい状況に自分を追い込んでいる、のだろうか。

 これが、もしかしたらわたしが乗り越えなくてはいけない、わたしの孤独なのかもしれない、と昨晩思った。わたしは、今自分が日々考えていることや選んできたことを、最愛の家族に話せないでいるけれど、その話せないという悲しさを、背負って生きていかなくてはいけない。このさきも、恐らくずっと。
 でも、わたしには、それに耐えうるだけの強さがあるだろうか。尊敬する恩師たちは、「話さない」という選択もある、とわたしに示してくれた。わたしも、話さなくてもいいのか、って思って、多少なりとも救われた。だけど、自分の性格を鑑みたとき、話さずにいることがはたして精神衛生上良いのか、と考えると、必ずしもそうではないと思う。話さないということは、そこに隠していることがあるというわけで、隠しているというのは、つまり、本当の自分を見せていないということになる。いままでも、家族に対して遠慮したり、本心でものが言えなかったわたしだけれど、この二年半の間で、本心を打ち明けることの大切を学んだわけで。正直なところ、本当に自分が思っていることや、素顔の自分というのは、自分が最も愛してる人々にだけ理解してもらえればいい、と思ってる。だから、わたしが自分の家族に、本当のことを話したいという気持ちが生まれるのは自然なことだ、とも思う。
 その一方で、あまりにリスクが高いとも思う。赤の他人になら、なんて思われてもいいし、自分が本当に思っていることを話して、理解し合えずに疎遠になったり、絶縁するようなことがあっても、仕方がないと思う。だけど、それが家族となったら、わたしは同じようには思えない。家族だって、他人ではある。だけど、特別な他者だ。仲が良くない家族だってもちろん存在するけれど、わたしは家族とは仲良くありたい。だって、家族と絶縁するようなことがあったら、わたしはどうなってしまう?もし、今一緒にいる人々ともうまくいかなくなってしまったら、どこにも行き場がなくなってしまう。辛いときに、自分だけではどうしようもないようなとき、どこで羽を休められる?孤独のリスクは、わたしが抱えている大きな問題だ。
 それに、いくらわたしが話したい、話して楽になりたいと思っていても、理解されるとは限らない。理解されないかもしれないことを、話すことによって、人を傷つけることになったら、と思うと、また気持ちが沈んでしまう。だからこそ、今まで「話さない」という選択肢を選んできたわけだし。
 でも、ここ数日、自分たちが行ってきた話し合いを通して、他人でもきちんと話し合えば理解しあえるし、ある程度の統一した見解にたどり着けることもわかった。もちろん、個人の差はあれど。そう思うと、やっぱり家族とも理解しあえるのではないか、と小さな期待を抱いてしまう自分がいる。うまく話せる自信なんてないし、どのような反応がかえってくるのかも想像できない。でも、もしかしたら、希望はあるんじゃないか、って思うと、自分がどうするべきなのか、どうしたいのか、ってぐらぐらと気持ちが揺れる。わたしは、この問題を解決したいし、どうにか、ましな状況をつくりたい。だけど、それを上回る恐怖と、恐れ、不安を抱えている。この不安は、わたしだけの不安だ。だって、これはわたしが抱えている孤独のリスクなのだもの。そう思うと、寂しくなるし、悲しくもなる。いくら日常生活は楽しく、幸せなふうに過ごしていても、喉に魚のとげが刺さったままでは、本当に気持ちよくなんてないもの。

 多分、ぐるぐると考えを巡らせても、すぐには行動に移せないと自分でわかっているし、らちがあかないこともわかってる。わたしには、もう少し時間が必要だ。もしかしたら、生きているうちに、もっとうまく解決できる方法がみつかるかもしれないし、って、これは現実逃避だろうか。デリケートなことだから、着実に、ゆっくりと解決まで導きたい。焦って、事を成してもしかたがない。それに関わるありとあらゆるコンセクェンスは、わたし自身にふりかかってくるのだもの。焦らず、何度も同じことを考えてもいい。だから、不安に負けて、考えなしに行動しないようにしなくちゃ。

 

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