「かかとを失くして」と「三人関係」、機内で読んだ話




 飛行機の中で多和田葉子の「かかとを失くして」と「三人関係者」を読んだ。多和田葉子の小説特有の、読んでいても宙を掻くような、手ごたえのなさを感じながら、惰性で読み終えた。結局、なにが言いたいのなわからないけれど、そもそもそれが醍醐味、なのかなと思ったりもする。

 「かかとを失くして」では、群像新人文学賞を受賞きているけれど、読み手はどのようにこの小説を読んだんだろう。最初から最後まで、なんなの?なんなの?って、そればかり。読み終えても、なんだったの?ってなる。語り手の自己完結した姿に、読み手はなかなかついていけない。なんでそのままでいられるの?って思うし、内容が理解できないまま、ずるずると泳がされてしまう。それが多和田節なのだと思し、現に、なんやねん、と思いながら、どうなるのかが知りたくでずるずる読み進めたのはわたしだ。

  多和田葉子の作品の中でも、最も好きなのは、それから再読する予定の「文字移植」、「旅する裸の目」、「エクソフォニー」の三編。それ以外の小説もたくさん読んでいるはずなのに、頭の中から内容にまつわる記憶がごっそりと抜けている。霞のように消えて、読んだ気配は残るのに、苛立つような、居心地の悪さを覚えるのも多和田の小説の特徴かなと思う。

 ただ、「三人関係」は途中から、非常に面白くなってきた。語り手にぐいぐい引っ張られて、わたし自身も綾子がどんな話をしだすのか気になって、気になってしょうがなくなった。語り手の知ることに対する焦り、続きを暴こうとするエロスが感じられ、読み進める原動力になった。

 秋奈と稜一郎、綾子の三人が寝室で過ごすシーンはとても印象に残っている。最初からそうなることが、語り手の導きからわかりきっていたのに、実現するのか否かを知りたくて読み進めてしまうあたり、自分の浅はかさを感じざるを得ない。

 してやられたなあ、と毎回多和田葉子を読むと思うし、なんだか胸糞の悪いような気もして、すごく楽しい読書じゃないのに、また読もうとしてしまうあたりが悔しいところだ。

 これから読むと「文字移植」も読むのは三度目になる。多分、またよくわからないまま読み終えるのだと思うけれど、それでいいんだろうなあ。

 ちなみに、あと二時間弱でアムステルダム。ポルトガル語の音楽を聴いて、頭のリセットが必要だ。今回の旅は、日本を北上して、ロシアからノルウェー、そしてオランダという道順。イギリスまではあと少し。

 機内では、小泉八雲の「雪女」、「狢」、田中貢太郎の「四谷怪談」をさらりと読む。「狢」のラストシーンは、ひい!となった。短編だけれど、非常に気持ちのいい終わりだった。

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