愛について/ book review #『愛撫』



 朝早くから、シャワーを浴びて産婦人科へ。二回目なので、今日はそれほど緊張しなかった。久々にヒールを履く。そうすると、自分が女性であることをはっきりと意識する。ヒールのある靴を履くとき、なにかのスイッチが入るような気がする。普段考えないようなことを考えたり、感じたり。頭の中はクリアなのに、まわりは珍しく濃霧に包まれていて、数メートル先は視界が霞み、薄暗いなかを歩いた。

 病院での診察は早いもので、大量の薬をもらって帰路に着いた。その間、わたしが考えていたのは、親密な関係について。人と人とが関わるときのスタンスやら、関係性の良好なバランスがどういうものなのか。いろいろ考えを巡らせていたのは、産婦人科の中にいた男女のカップルの姿や、臨月の妊婦さんの姿を目にしたり、去年の11月に出た Silva の新しいアルバム"Júpiter"を聴いていたからだと思う。今回のアルバムは「愛」についての歌詞が多く登場する。二曲目の愛についての詩は聴いていて、はっと息がつまるような美しさだし、4曲目も聴くたびにため息がこぼれる。

 霧が晴れてきて、艶やかな黒い車にうつる自分の影をみて、ふと思ったのは女性は華であってはいけないということ。連れ添う相手のための華でもいけないし、自分自身を誇張するようでもいけない。かといって、連れ添う相手はジョウロのようにただ与えるだけでもいけないし、華として与えられることをただ待つでもいけない。
 人と人との関係は、それが異性間であれ、同性間であれ、それ以外であれ、一本の木と木のように、自立した存在であるべきだと思う。根と根でお互いを支え合って、枝葉を伸ばし、強すぎる日差しや風、寒さ、その他の外的な刺激から守り合いながらも、上へ上へ、各々が成長していく。そこには依存関係ではなくて共存関係がある。どちらかが不利益を被ることもないし、華のようにすぐに枯れるものでもない。そういう関係性をこの先も築いていきたいし、自分以外もそうであったら世の中もっと幸せなのだろうなと思う。

 家ではぼんやり時間を過ごしながら、昨夜みた夢のことを考えたり、先ほどの関係について考えていたりしていたら、積んだまま放置してあった庄野潤三の短編『愛撫』が妙に気になって、ぺらぺら読み始めた。
 この本で気になったのは、語り手のひろこが結婚を経て、人間として変わってしまったという点。自分で自分のことはなんでも決めるというような、活発な女性であったのに、結婚してからはまるで夫の影のようになってしまう。夫は夫で、物書きを目指しつつ、怠惰で一向に机には向かわず、編集の仕事も他人の印税を使い込んでしまうような弱い人物だ。その上、ひろこの秘密ー女学生時代にエスの関係にあったTとの小さな出来事や、ヴァイオリンの先生である秋築先生との関係ーについて執拗なまでに質問を繰り返し、ひろこをうんざりさせてしまう。
 自分の妻が誰かに欲されていることで、その関心を募らせるのってなんだか歪んでいる。だけど、自分の妻が人にも欲されているということで、その人物の価値が上がると感じる人も少なからずいるのだと思う。この一連の流れで思い出したのは、『こころ』の先生、K、靜の関係。先生だって、お嬢さん(のちの妻、靜)にKが思いを寄せていることを知って先手を打つわけだけれど、この夫にもそれに似た気配を感じる。こちらのほうが、ちょっと変態っぽいけれど。
 最終的には、いろいろありつつ、夫がそういう形でも自分に関心を持ってくれることを嬉しく思いながら、でもどこかで興ざめしてしまっているひろこの姿は、なんだかとても物悲しくて、やるせなかった。『愛撫』を読んだことで、自分が朝に考えていたことを裏付けることができたような気がするし、より自立した自分でありたいとも思った。
 今の自分は、そういう点ではとても安定しているなと思う。大切な人とも、良いバランスを保つことができているし、お互い安心しあえる距離感でいる。案外、このバランスを保つことは難しいことなのかもしれない。


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