春画展を通して考えたこと




 少し前のことだけれど、今月3日に京都の細見美術館に春画展を観に行ってきた。一人で行こうと思っていたけれど、たまたま仲良くしている同僚と休みがかぶったので、二人で行くことに。

 わたしはわりと春画が好きで、浮世絵の中だったら妖怪・幽霊ものの次くらいに春画が好き。少しくすっと笑えるところもいいんだけれど、春画で描かれているインティメイトな空間がみていて心地がいいし、性に対してオープンな感じがなんだかいい。あけっぴろげなところが、なんだか逆に見ていて気持ちがいいというか。それに、人間同士の快楽が興味深くてついついじーっと見てしまう。女性の描き方もとてもいいと思う。描かれている人々の息遣いとか、関係性とか、春画は対の関係をしっかり描いていて、一方的な感じがしないのがいい。(ものによっては、一方的な力を感じるものもあるけれど)

 個人的な思い込みかもしれないし、偏見もあるかもしれないんだけれど、コンビニの端っこに並んでいる成人向けのポルノ雑誌と、春画はまったく別物だとわたしは思う。コンビニポルノの表紙を見ていて、わたしが覚える感情は恐怖感だったり、不快感だったりする。多分、描かれている女性が消費されるように見えるからだと思う。なにかしらぶっかけられていたり、目つきがちょっとやばかったり、縛り付けられていたり、あからさまに欲望を煽るようなポーズだったりする。あのコンビニポルノ独特の感じが苦手だ。(かといって、中身を読んだことがないので一概に決め付けることはできないのだけれど…)

 わたしには、春画はコニュニケーションとしてのセックスをきちんと描いているように見える。わたしとあなた、という二人の間の親密な関係。ふたりが一緒に快楽の時間を作っているように見えるし、そういう風に感じられるから卑猥には見えないし、感じない。一方的な性処理にも見えない。そのせいか、男根がぽろんとまる出しでも、女性が大股開きでもちっとも平気だ。春画を楽しむ対象が、男性だけじゃなく、女性であったことも関係しているのかも。作り手は常に消費対象を意識しているだろうから。そう思うと、コンビニポルノの消費者って、多分男性の方が多いだろうから、男性主体のポルノになるのも仕方がないのかも。

 わたし自身、自分はとても性的な人間だと思う。それはただ単にセックスが好きということじゃなくて、(いや、もちろん好きだけれど)性に関することにすごく関心があるから。人と人との関係を考えていく上で、性的なアスペクトって不可避だと思う。性とどう関わっていくかって、生きる上で本当に大切。とくに、自分自身がどう性と関わっていくのかということもそうだし、身の回りの人々がどういう風に考えているのか、などそういうこともすごく知りたい。
 春画展を見て思ったのは、女性たちがオープンに観覧できることが嬉しいということ。こうだね、ああだねって言いながら見て、自分たちの性のことについて考えるきっかけになっているのだとしたら素敵なことだと思う。わたしも、同僚とああだこうだ言いながら見ることができて嬉しかったし、気づくことが違うから、「あ、こういうところに気がつくんだな」とか「こういう目線なんだな」ということが度々あって新鮮だった。一概に男性の見方とは言い切れないけれど、自分とは違う性別の人と一緒に見ることで、すごく勉強になったと思う。自分が感じたことをどういう言葉で表現するのか、というところも面白かった。
 あと、若いカップルにとっても、熟年カップルにとっても、ふたりで春画をみることを通して、性の感覚を語り合うきっかけになっていたらいいなと思った。もっと多くの人が性に触れて、考えてってしたらいいのに。話し合う時間が増えれば増えるだけ、充実した時間が過ごせるようになると思うんだけれどね。

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