メンタルケア / スカーレットが好き



3月29日(金)に、内分泌科の主治医と脳脊髄神経外科の担当医の定期検診があった。3月頭におこなった血液検査の結果の報告と、ここ最近の身体状況を報告した。

内分泌化では、いつものようにメンタルの調子が悪いことを報告した。主治医は、血液検査の結果を見ながら、甲状腺ホルモンの値はギリギリ基準値の枠内ではあるものの、本来はもう少し増やせたらいいかもしれないと言った。(甲状腺ホルモンの値が低くなると、鬱になりやすいからということもあるかもしれない…)

ただ、副腎皮質刺激ホルモンを分泌できない身体なので、甲状腺ホルモンの補充を行うと副腎皮質刺激ホルモンの量も調節しないといけなくなる。改善が見込めるかわからないくらいの、ほんの少しの量の調整のために、場合によっては入院しなおしてホルモン値を観察しなくちゃいけなかったりと労力がかかるわりに、それに見合った価値があるのか主治医も決めかねているようだった。

私自身も、なんとなく薬ではどうにもならないような気して、主治医の言葉をどこか受け流すような気持ちで聞いてしまっていた。だから、とうとう主治医から、精神科にかかってみたらどうでしょうか、と提案されたとき、なんとなく胸をなでおろすような気持ちになったのだった。

中枢性尿崩症と下垂体前葉低下症、橋本病を発症してから、インターネット上のありとあらゆる論文に目を通したし、脳に関する本などにも目を通したりしていて、自分が感じている様々な症状は、単に持病によるものだけではないとうっすら感じてはいた。もっと、もっと、根源的な問題があって、それによって肉体も精神も悲鳴をあげているというか。


ドナ・ジャクソン・ナカザワの『小児期トラウマがもたらす病 ACEの実態と対策』を読んで、絶望的な気持ちになったのはそのせいかもしれない。

本書によると、ひとはトラウマ体験を記憶し続けて、体に刻み込んでいく生き物なのだという。小児期のトラウマを抱える人は、自己免疫系の疾患やガンなどの病気にかかる可能性が右肩上がりに高くなるのだそうだ。この本では、親近者からの虐待などのトラウマに焦点を当てているから、わたしのようなケースは当てはまらない。わたしは、幸い家族関係には恵まれていたから。親に手をあげられたことなんて一度もなかったし、常に大事にされて育ったという自負はある。だけど、わたしが育った環境的な要因や、親には愛されていたものの、わたしたちはどっからどうみてもコミュニケーションが成立していない機能不全家族だったことなど、過去のできごとに由来する根本的な問題があることは、直感的にわかっていた。


自分の現在は、過去の自分の結果である。しかも、自分が望んだことばかりではないということが、ひどくわたしの心をかき乱していた。苦しい経験をするというのは、その当初だけではなく、そのあとも継続的に身体への大きな影響を与え続けるのだなって。だから、絶望的な気持ちになってしまっていたのよね。とくに、3月頭に、抗下垂体抗体について話をきかされたとき、やっぱりきたか、と思った。いろんな論文を目にしてきて、自己免疫的な脳の炎症が原因だったじゃないかって、自分ではうっすらと思ってきていたから。

とはいえ、精神科にかかるということを主治医から提案されたこと、ここ数ヶ月のメンタル面での不調と、生きることへの苦しさの改善には、こっち方面の専門家に相談するのがいいだろうと思ってはいたから、ようやく行動に移すきっかけを与えられた気がして、すぐに精神科の予約をとりつけたのだった。もしかしたら、なにか道が開けるかもしれないって。



精神科の予約を取りに行ったとき、受付の看護師さんの物腰がとても柔らかくて、彼女の目を見ているだけで、感情が溢れ出してくるようだった。自分の置かれている現状と、自覚症状などを説明しながら、感情が高ぶってきて、うるうるしつつだったけれど、なんとか4月末に予約を取り付けることができた。

多分、ただ単に今ある憂鬱な気持ちなどのケアではなくて、根本解決が必要な時期にさしかかっているのだろう。これまでは見ないふりできていたことが、もう無視できなくなってきている。そういうタイミングなのかもしれない。



脳脊髄神経外科の担当医(以下りっちゃん)との問診は、普段よりも長かった。精神科の予約の時点で、感情の箍が外れかかっていて、りっちゃんから最近どう調子が悪いのかと聞かれたとき、洪水のように感情が溢れ出してしまったのだった。

こういうとき、医者というのはすごいなと思ったのだけれど、いまの不安が具体的にどこからきているのかを客観的に知ろうとしてくれたんだよね。仕事、人間関係、体調、お金、なにがトリガーになっているのか、理解しようとしてくれた。

仕事が普通にできないことが辛い、と言ったとき、りっちゃんはすぐにお金の問題であるということも理解してくれた。わたしにとって、働けなくなるということは、お金の問題であるだけじゃなくて、ビザの問題でもある。そして、ビザの問題は、パートナーとの関係性や、家族との関係性、LGBTの外国人として日本で生きている自分自身の存在の問題でもあって、単一の原因ではない。

仕事の環境にはすごく恵まれているのに、体もメンタルも辛くて、成果が出せないことが辛いと言ったときも、成果が出せてないって言われてる?と聞かれたの。会社には何も言われていない。言わないでいてくれているだけかもしれないとわたしは思っていたけれど、りっちゃんはそういう風に思い込んでいるだけなのかもしれないって、さらっと言った。わたしの中にある不安の種は、そういう思い込みでできている分もあるだろうっていうこと、自覚させられた瞬間でもあった。


こういう質問って、冷静にさせられるというか、ふと立ち止まるきっかけをつくってくれるものだ。もちろん、自分の中では度々自問自答してるんだけれど、人の声を通して頭に響くと、違う音色で聞こえてくるものだから。

りっちゃんとしばらく話をして、全額を自費で負担するはずだった抗下垂体抗体の有無を調べるための特殊な血液検査を、病院負担でやってもらえることになったと言われた。その場で採血を行なって、いつものようにたくさん血を抜かれたのだった。りっちゃんに採血をやってもらったのだけれど、普段は看護師さんにやってもらうからうまく言ってよかったと笑っていた。

りっちゃんは、いつもわたしが身につけているものを観察していて、この日はたまたま真っ赤な自作のワンピースを着ていたのだけれど、採血のときにさらっと、わたしもスカーレット好き、って言ってた。こういう何気ない心遣いに、りっちゃんの人柄の良さや、経験値の高さに感心するというか、救われるのだった。


結果を聞きに行くのは5月後半の予定だ。この検査で陰性であっても陽性であっても、今までの治療に変わりはない。とはいえ、本格的なメンタルケアがはじまることは、今後のわたしにとって大きなターニングポイントになるような気がしている。りっちゃんがどこまで私たちの話を、主治医と共有するのかはわらかないけれど、小さくても一歩だけ前進できていたらと思う。


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