昨日、今日

 弟と、電話で話した。二週間ぶりくらいだろうか。家族とは、そう頻繁に話さなくなった。だけど、それでも生活は安定しているし、まぁいいんだろう、と思っている。今まで、距離が近すぎたとも思う。いまは、もっと冷静に、家族とふれあいたい。自分のスペースがもっと欲しい。私自身の感情が欲しい、未来のプランがほしい。自分自身の人生なのだから、と思うのは薄情なことか?
 会話の内容は、電子書籍をつくってみないか、というもの。これから勉強して、将来的には、弟と二人でつくりたいものがある。いろんな人と、いろんなものをつくりたい。最近は、そんな気持ちでいるんだ。こういう気持ちって、卒論の進み具合に反比例しているのかな、と思ったりもしてね。
 で、卒論はというと、やっぱり思い通りに進まない。文章がすらすら出て来ない。足踏みしている感じがする。踏み固めてはだめだ。それに、今更テーマのことをあれこれ思うのは無意味だ。そんなことやってるくらいなら、ぺにょんぺにょんの言葉でも、吐き出して行くしかない。これで卒業できないとか、ありえない。妥協はいやだ、死ぬほど嫌だ。だけど、卒論が最後になるわけじゃない。この先も、このテーマについては、嫌というほど考えていくことになる。私の人生が、一つの論文なのだとしたら、卒論を書き終えるっていうのは、序論を書き終えたっていう、ただそれだけのことのような気がしてきた。下手したら梗概の段階。だからね、まだ、本文にすらさしかかってないんだよ、きっと。そう思うと、そんなに緊張しなくてもいいんじゃない、と自分自身を励まそうと思えてくる。
 逃げられないテーマがある、自分自身のテーマがあるって、幸せなことなんじゃないか、と友人に言われたことがある。私は別にそんなふうには思っていない。少し不運だな、と思ったりはする。だけど、そういうこだわりは、程度の差はあれど、誰しもがもっているんじゃないか、とは思う。その友人だって、実際のところ、社会学に夢中だ。だからこそ、私たちはつながって、仲良くなったわけだし。私たちは、ある意味では似ているんだ。不公平なことがきらい、っていう点においてはね。
 人よりたくさん考えてきた、とは思う。とくに、自分と同じような人々がどのように社会と折り合っているのか、とか。人間関係についてとか。お陰で、無駄に考える癖がついた。考えすぎることも増えた。でも、それはきっとラッキーなことなんだろうな。考える癖があるのは、ないよりきっと幸福だ。だけど、考えすぎるとなると、考えないほうが幸福に思える不思議。
 そういえば、昨日はへとへとに疲れたバイトのあとで、この友人に会って、ほっと一息ついたんだっけ。バイトの愚痴を言って、卒論の愚痴を言ってね。結局、ハリー・ポッターについて、アラン・リックマンについて、現代思想について、労働について話した。励まし合って生きる、ってこういうことなのかな、突然思う。

 昨晩、眠る恋人の隣で、一緒にかったノートに文章を書いていた。始めたばかりなのだけれど、今のところ毎日のようにノートを広げて、書いている。交換日記みたいにね。昨晩書いたのは「愛」のこと。最近よく、同性愛をいう言葉を耳にしたり、目にする。それについて考えることがあって、ノートに書いた。それに対する恋人の答えが、今朝ノートに書き込まれていた。すご納得したし、そうだよね、と思った。こういうとき、恋人の感性に惹かれる。私がうまくことばにできなかったことを、すらすらと言葉にしてしまう。だから、ちょっとだけ羨ましかったりするんだ。私も、そういう文章が書けているといいのだけれど。
 さてと、そろそろ卒論やらないとね。しっかり腰を据えて、張り切りましょう。レシートの裏に書いた、卒論メモ。有効活用できるといいのだけれど。 

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