自分ええやん、



 自分ええやん、って思えるって本当に本当に大事なことだ。ほんまに些細なことでもいいんだけれど、そういう自分の好きな点は常に意識していたい。

 わたしも、パートナーも自己肯定感がありえないくらい低い。二人揃って、自己肯定感がえぐられ、摩耗されるような状況で育ったから。ただ、二人ともわりとまともなので、かなり、かなーり無理をして頑張ってきた。でも、やっぱどこか社会に適応できない野性味があって、ひどく辛い。とても辛い。とくに、同調圧力がきつい日本のなかでは。

 そんなこともあり、わたしたちは常に、人一倍頑張らないといけないと思ってた。そうしないと、社会に対応できないし、排除される。だって「普通」じゃなかったから。人間として扱ってもらうために、普通になるために、必死やった。ほんまやったら、普通じゃない個性を誇れたらよかったのだけれど、わたしもパートナーも残念ながらそれができなかった。原因になるようなことは、挙げていけばキリがない。真面目で頑張り屋というのは、こういうとき結構苦労する。

 だいぶ大人になってから、たくさん話して、考えて、読んで、わたしたちに足りないのは自己肯定感と自信なんだってわかった。それ以外はもう十分すぎるほどあるやんかって。でも、こういう風に思い続けることも、わたしたちには難しい。慣れ親しんだ、自分たちはあかん人間やという思い込みからはなかなか逃れられない。

 毎日、お互いのいいところを褒めて、感謝し続けても、なかなか自分の良いところ誇れない。肯定できない。それってすごくは悲しいことだ。相手のことを信用しているし、一番の理解者だと認識しているのに、どこかでその人の評価を、信じられないのだから。

 そうだとしても、やっぱり褒め続けることは大事だ。その言葉を聞けば聞くほど、そうかもしれないって思えてくるから。自分自身を肯定できるようになることも、その練習をすることも大事だ。前回の記事でも書いたけれど、なりたい自分を、自分自身でつくることは、そういう自己肯定感を育てるためには必須なんじゃないかと思う。少なくとも、わたしにはそうだ。

 あんためっちゃかわいいで、頭いいで、すごいでってたくさん言ってもらって、そのことに慣れていくこと。その言葉を、「いや、そんなことないです」って謙遜しないで、素直に受け入れること、自分ええやん、ってほんの少しでも思うこと。その積み重ねが、わたしたちには必要だ。なにより、人一倍必死にならなきゃ、生きている意味がないなんて思わなくていいよう、何もしていない自分、弱い自分、悲しい自分、わがままな自分をも受け入れるトレーニングが必要だ。

 服を自分でつくったパートナーの写真をみると、ほんとうに、わたしたちに足りないのは自己肯定感と自信だけやん、と思う。こんなにいい笑顔ができるんだから。わたしたちには、自分を信じる力が必要だ。

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