命に優劣はない、



 通院のたびに、気持ちが落ち込む。こんなの甘えかなって思うこともあるけれど、少しだけ話しを聞いて欲しい。


 今、下垂体機能低下症、中枢性尿崩症の治療のために通院を続けている。下垂体からは、ほとんどのホルモンが分泌されなくなっているので、生命維持のために足りないホルモンを薬で補っている状況だ。あとは、メンタルの調子を崩して休職もしている。復帰したいけれど、まだ復帰後の生活のイメージがうまくついていない。

 幸い、下垂体機能低下症も中枢性尿崩症も特定疾患として難病指定されているので、日本の福祉制度にはかなりお世話になっている。ちゃんと補助が受けられているからこそ、今でもなんとかやれているという気はする。ただ、それが、たまに気掛かりになる。


 コロナの影響で、いろんな声を見聞きするとき、やっぱり差別的な発言を目にすることもある。例えば、外国人に対する現金給付などの補償は反対だ、とか。日本に滞在している外国人の在留資格が少し延長になったことに対し、はやく送り返せとか、ね。
 そんなことをいうのはごく一部の人だとはわかっているし、その人がいざ外国人のわたしを目の前にして同じことを言えるのか、と思ったら多分それは難しいとも思う。(流石に言わないだろう、とは思いたい。)だけど、日本で生きる外国人として、胸がチクリとするのは事実だ。

 今、自分と会社が払ってきた社会保険に助けられて休職していて、自分が納めてきた税金からまかなわれている医療の補助を受けている。それは当然の権利だと思うし、誰にとってもそうであって欲しい。日本国籍、外国籍関係なく。そう信じたいし、そうだと強く言いたいのに、日本で育った外国人としての、肩身の狭さみたいなのはあって、わたしなんぞがこんなに補助を受けていいのかって思ってしまったりする。

 この思考になってしまうと、何もかもネガティブになってしまう。薬を飲まないと生きられないような人間なのに、生きてていいのかなとか。外国人なのに、日本の税金に世話になる権利なんてないんじゃないかとか。今後日本の医療制度がアメリカのように変わっていったら、自分はきっと生きていけないし、生き続けるために必死に働いても医療費を払えない。だったら、いっそのこともう死んだほうがいいんじゃないかな、とか。医療費の管理表をめくって、実際にかかる医療費と、自分が支払った医療費の差額をみると、とてつもない罪悪感を覚える。
 でも、それって、とてもとてもひどい考え方だ。命の価値を、お金や、国籍や健康状態で優劣をつけるような考え方で。わたしも、目の前に自分と似たような境遇の人がいたら、その人に対してそんなふうには考えたくないはず(これ、そうだと信じたい)。なのに、対自分にはそういう気持ちになることを許してしまう。こんなの苦しいに決まってるやん。

 誰にも、生まれた国を選ぶことはできない。どのように育つのかも、すべてをコントロールできるわけじゃない。健康状態だって、いつどんな病気になるかなんて分からないものだ。誰もすべてを思い通りにできるわけじゃない。みんな、今いる場所で生きるのに必死だ。
 わたしとあなたの間に、優劣はない。わたしとあなたの命に優劣はない。それなのに、わたしは頭の中で自分自身の劣性を信じ込んでしまっている。恐ろしいことだと思う。自分のなかにある、優劣思想や、レイシズムを自覚して、吐きそうになる。

 よくないって自覚していることをなのに、なぜやめられないんだろう。なんで通院の度に同じことが脳裏をかすめるんだろう。わたしは、いつになったら自分の思考の危うさの軌道修正ができるんだろう。いつになったら、自分を責めることをやめられるんだろう。

 でも、こういう感情があるんだって、アウトプットすることで、そのおかしさと向き合うことができるのは、ほんの少しの進歩なのかもしれない。わからないけれど。せめて、そう思いたい自分がいる。


 昨日はね、自分の中のネガティブさに心身が勝てなくて、昼も夜もずっと寝てた。お風呂でパートナーに話して、ようやく少し気持ちのもやもやが薄れた。今朝は、昨日よりもほんの少しましだった。次回の通院のときは、このポストのことを思い出そうと思う。思考が暴走する前に、おいおい、落ち着きなよって自分自身の肩を叩いてあげたい。わたしがまた暴走しているのに気づいたら、どうかわたしの肩を叩いてね。お願いです。

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