紡ぐこと、編むことの歴史


 Mais ou Menosのアバウトページでも書いてることなのだけれど、紡ぐこと編むことは、日常的な行為でありながら、大きな歴史の一部であると思っている。
 
 糸紡ぎの歴史は1万年以上あるといわれているけれど、その大きな歴史の実態は、一人一人の人間が、その技術を共有しあって、少しずつ改良しながら伝えてきたもの。最初は家族間で伝わったり、集落単位で伝わったりした手仕事が、今の自分が生きる時代にも脈々とつながっていることは、途方に暮れるような長い時間、ファミリーヒストリーの蓄積にほかならない。

 わたしが糸にまつわる手仕事に魅力を感じるのは、そういう小さな歴史の蓄積と、それが昔から女性の仕事であったという点なのだと思う。女性が主導権をもっておこなってきた仕事。それによって家族の体や、生活などを支えるものになっていたことは、女性のエンパワメントの方法だと思っていて、今のわたしにも大きな力を与えてくれていると感じる。(そこには様々な祈りも折り込まれてくわけなんだけれど、それについてはまた別の機会に書きたいと思う。)




 わたしも編み物は祖母に教わった。少し複雑な経緯があって詳細は割愛するけれど、当時わたしと祖母は同じ言語を話せなかったので、うまくコミュニケーションがとれなかった。編み物はわたしと祖母とのコミュニケーションの断絶を埋める手段になった。

 黄色の糸と金色のかぎ針で、祖母はいとも簡単に、人形のスカートを作りだした。たった数分で。わたしにはそれが魔法のようで、食い入るように祖母の手元を凝視して、必死になって真似をした。たった8歳の自分にも、人形のスカートをつくることができた。言葉は通じないけれど、技術を通してわたしと祖母が今までとは違うレベルの深さで繋がりあった瞬間だと思う。そして、祖母も誰かからその技術を学んだのだろうし、祖母に編み物を教えた誰かも、他の誰かから教わったに違いない。「歴史がある」と言葉にすると単調だけれど、一人一人がそうやって、いろんな個々の状況や、経験を通して繋がり合っていると思うと、鳥肌がたつでしょう?

 わたしが祖母に教わった棒針編みのスタイルが、ポルトガル式だったというのも、わたし自身には大きな意味がある。イタリア系移民の祖母が教わったのが、ポルトガル式の編み方だったということは、イタリアとポルトガルとの出会いがどこかにあったはずだから。海も時代も超えてるの、なんて壮大な歴史なんだろう。わたしと祖母の間でのやりとりは、あんなに小さいものだったのに。



 編み物や糸紡ぎをしているとき、わたしは自分の前にいた人々に思いを馳せたりする。そして、わたしがつくったものを身に纏うことになるだろう人のことも考える。枝分かれした先では、わたしがつくったものと身に纏ってくれている人との間の新しい歴史が生まれていく。もしかしたら、それがきっかけで、さらに別の誰かと繋がっていくかもしれない。わたしにはそれがとても特別に思えるし、この技術を絶やすことなく受け継いできた無数の先人たちに感謝しかない。その歴史の一点として、今の自分がいることがなんとも嬉しいし、今後もそれが脈々と続いていけばいいのに、と思う。

 わたしは子どもをもつことはないと思うけれど、まったく別の、わたしの形で歴史の一部として、連なっていきたい。だから、少し大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、Mais ou Menosでつくったものは、そういう思い、祈りを込めていることが購入してくれた人に伝わるといいなと思っています。

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