Mais ou Menos - まいぞめのすで、特別なひとりひとりへ -


 以前、ウェブマガジン「アパートメント」で「裏でも表でもないこと」という記事を書いた。これは、ブランド名になっている「Mais ou Menos」という言葉に、自分たちがどんな意味を見出しているのかということを、自分なりにまとめたもの。

 Mais ou Menosは、日本語だと「まぁまぁ」とか「良くも悪くもなく」みたいな意味がある。発音は「まいぞめのす」と表記すると、大分ポルトガル語に近い。

「これおいしい?」「うぅん、まいぞめのす」

「あの映画面白かった?」「まいぞめのす、かな」

「今日調子どう?」「別に、まいぞめのすだけど」

 こうやって、この言葉が使われる現場を想像すると、あんまりポジティブには感じないかもしれない。だけど、生きていると、実際のところは大体のことが「まいぞめのす」なんじゃないかと思う。白でも黒でもなく、裏でも表でもない。

 
 わたし自身も、非常に「まいぞめのす」な存在だ。国籍も、セクシュアリティも。むしろ、存在自体が裏でも表でもなくて、常にいろんな属性の中間にいる。パートナーも同様に、中間にいる白黒定まらない人だ。(パートナーの自己紹介については、このリンクに詳しく。)


 ふたりとも、生きるの自体がとても大変だったりするけれど、まぁまぁ生きていたらいいし、これがだめ、あれがだめと常に否定したくないし、もうこれ以上されたくない。人のことも、自分のことも責めたくない。良いところも、悪いとことも受け入れて、そのまま生きていきたい。「Mais ou Menos」には、だから、そういう寛容さがあると思うし、「自分自身をembraceするためのおまじない」だと本気で思っている。今でも、変わらず。


 人に甘えてもいい。人に優しく、自分にも、自然にも、みんなに優しくなったらいい。弱さを悪いものとして端に追いやらなくてもいい。誰にとっても多かれ少なかれ生きづらさがあるんだから、自分たちをさらに追い詰めなくていい。まあまあとか、白黒つかないとか、良くも悪くもないmais ou menos。だけど、この言葉は多分そんなにネガティヴじゃなくて、自分自身をembraceするためのおまじないのように思っている。

(「裏でも表でもないこと」より)



 
 だから、わたしたちがつくるものが、「Mais ou Menos」(まいぞめのす)という言葉の傘の下にあるのは、至極当然の事のように思う。わたしたちが、本気でつくったカーディガンが、別の誰かの身も心をもembraceするようなものであってほしい。良いところも悪いところも、そのまんま受け入れられるような、魔法のケープのようであってほしい。社会がこうだから、人にこう言われたから、そういう自分を縛りつけるような視線や言葉から解放された、そのまんまの、まいぞめのすなあなたを守る安心毛布のようであってほしい。

 全部手で、一目一目編んでいるからこそ、そんなわたしの祈り、願いが込められたカーディガンたち。わたしたちは、そんな気持ちでカーディガンをつくっています。だからそれは、まいぞめのすで、特別なひとりひとりへのラブレターのようなものなのです。


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